書くことで私自身が癒されたい
あけましておめでとうございます。
天国と地獄がないまぜになった2020年が終わり、2021年が明けた。
天国というのは、もちろん次女が生まれたこと。今のところ純度100%で可愛くて、愛おしくて、太陽のような存在だ(そしてもちろん、大きくなるにつれてその純度は下がっていくことも長女を育てた経験から学習している)。
そして、地獄とは今なお続くコロナ禍のこと。現時点での我が家への直接的なダメージは、次女の立ち会い出産や産後の面会が叶わなかったり、気軽に親族や友人に会えなかったり、育休中にいろいろなところへ出かける計画が頓挫してしまったりと、致命的なものは回避できているものの、この状況が続けばどうなってしまうかわからない。
そんな状況下ではあるものの、新しい年は誰にとっても希望を運んで来るものだと信じている。
夜が明ければ風向きも変わる。風の凌ぎ方は人それぞれで、正面から立ち向かう人もいれば、縮こまったり不貞寝したりして風が収まるまでやり過ごす人もいるだろうが、ともかくスマートであることを放棄してでも乗り越えようではないか。
他力本願かもしれないが、私はワクチンが普及して人類がウィルスに打ち克つ日を信じている。そしてそのために、必要な健康診断を受け、出来る限り体を鍛えたりヨガで瞑想したりしたいと思う。引き続き。
さて。
前回の育休の時に引き続き、今回の育休も裏目標として「ブログをマメに更新する」を掲げていた。
(ちなみに前回はわざわざお金を払ってライティングの講座を受講したりもした。)
しかし、蓋を開けてみたらどうだ。まったく更新できていないではないか。
もう完全に言い訳だけれども、私は第二子育休を甘く見ていた。
「子育て2回目だし、上の子は保育園あるし、なんとかなるでしょう」とね。
甘かった。大いに甘かった。
実際、次女の子育て自体はそれほど大変ではないし、無痛分娩かつ分娩時間が短かった(前回40時間超だったのに対し、今回は2時間弱)こともあって、産後のダメージも少なくて体調を崩す頻度も随分下がった。
4歳児(※長女は満4歳)までの子育ては一通りやってきただけあって、次女の子育てだけを考えれば楽勝である。心穏やかである。
が、長女の保育園の預かり時間は9時から4時、送り迎えの時間はあれやこれやで30分ずつかかるし、降園後は食事の準備、お風呂の他、遊びにも付き合わなければならないので、自分の時間はほとんどなく、寝かしつけの時間もあって22時頃には子供たちを連れて布団に入る。
おまけに習い事も始めてしまったため、お迎えが午後4時よりも早い日もあってもはやお昼を食べたらお迎え、みたいな気持ちになっている日もある(実際それほど早いわけではないのだけど、気分的に)。
当初、週に1本くらいはコンスタントに記事を書きたい、もっと言えば余裕のある時に書きだめをして予約投稿しちゃいたいな〜くらいの気持ちでいた。
それがどうだ。
蓋を開けてみたら、月に1本だって怪しいではないか!
(今確認したら6月以降はギリギリ月に1本以上は書いている。それにしたって少なすぎだ)
別に、誰に言われて書いているわけではない。
しかし私は書きたいのだ。
それは、小学生時代に漫画の真似事を描いて友人たちの間でウケた経験がそうさせるのかもしれないし、中高生時代に作文の授業で褒められたことが嬉しかったのかもしれない。大学時代に書いていたブログもそれなりに読んでもらえていたように思う。
そうして積み重なってきた、書く喜び、読まれる喜びが自分の中で原体験としてあって、だからこそ歳を重ねた今でも、心の中に「書きたい」という思いがあるのかもしれない。
そして、そうして書き物を褒められていた時代、誰よりも私自身が私の書いた文章のファンだった。
同世代の誰よりも、とまでは行かないまでも、半径100メートル以内くらいのところでは誰よりも面白い文章を書いている自信があった。
今にして思えばそれは少し過大評価だったかもしれないけれど、読まれるに値するだけの文章を書くことはできていたのではないだろうか。
正直なところ、今の私の文章力は当時から比べると大いに低下してしまって、たとえそれがworld wide webの片隅であっても、一般公開に耐えられるような水準ではないと思っている。
しかし、書き始めなければ何も始まらない。
書き続けなければ書く力は向上しない。
自分の文章の拙さとしばし正面から向き合って、少し真面目に訓練したいと思うのである。
読者の皆様(いるのか)におかれましては、温かい目でお付き合いいただきたい。
そしていつの日か、「なかなかいい文章じゃないか。書いたの私だけどな。」と言いながら自分のBLOGを眺めたいと思うのである。
今年もよろしくお願いします。