カタヤマさんの頭の中

久しぶりの実名ブログです

2021年の読書記録

2022年ももうすぐ終わりだというのに、2021年の読書記録をまとめるのを忘れていた。

正確にいうと、まとめるための時間を取れなかった。

 

古いものだと読了後2年近く経っているので、内容とかほとんど覚えていなかったりするわけでて…。

こういうものは早めにやらないとダメだよな。うーん。

おまけに、読書メーターのまとめ昨日が使えなくなっている(多分、3月だか6月くらいまでは「去年読んだ本をブログに貼る」みたいなHTML自動生成機能が使える)なっているので、月毎に読んだ本をスクショして貼る、というアナログな方法で振り返りたい。マゾか。

 

あらかじめ断っておくと、この記事は備忘録としての記事で、たいして面白くないです。

個人的には、読んだ本を振り返ることで、去年1年間をどんなふうに過ごしたか振り返ることができたのでよかったけども。

 

2021年の読書サマリ

 

1月に読んだ本はこんな感じ。

年明けは軽い本が多いな。

都民になって10年ほど経つのだけど(それ以前にも一時的に都民だった時期もあるのだけど)、昔は「夢の都東京」と思っていたのが、「東京ってエリア(区)によってかなり個性があるよね。区ごとにマウントとかあるし」ってことで興味を持って読んだのが「東京エリア戦略」。

でも、著者の方が性格がいいのか、あまり下世話なことは書いていなくて、肩透かしを食らった感じがした。

 

 

続いて2月。

お、画像サイズ自動調整されちゃうのか。この仕様はイマイチだな。

キングダムにハマっていた時期で、佐藤優の本を読んだのかな。かなりこじつけ感があった記憶。


3月。

職場復帰が近づいてきて、仕事関連本が紛れているな。

「子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法」があるのは、なにかこの時に思うことがあったのでしょう。

「おやくそくえほん」は子ども向けの本で、花まる学習会の代表の著書なので、もしかしたら著者アレルギーがある人もいるかもしれませんが、書いてあることは至極まともです。

長女の子育てには常に頭を悩ませていて、この時も「基本的な生活ルールを身につけてほしい」と思って読ませていたんだと思う。

 

4月。

慣らし保育が始まった頃ですね。

育児・出産関連の本が入っているのと、瀧本哲史さんの本を初めて読みました。

「疲れない体」を読んだのは、相当疲れていたんだと思う。「腹圧をかけると内臓が正しい位置に戻って疲れにくくなる」ということが書いてあったらしい(もちろんすっかり忘れていた。)

この時の自分に教えてあげたいのは、「あなた今も疲れてるよ」というね。そういうことを意識できる生活をあなたはこの一年間していないです。ずーーーっとリモートのデスクワークだし、体力は激落ちしてます。

 

 

5月。

来ました! 復職前に意を決して、スーザン・フォワードの「毒になる親」を読んだ時期でした。

書いてあることは、他の毒親関連本で聞いたことのあるような内容が多分に含まれていたのだけど、もしかしたらこの時、親とまたトラブルがあった時期で、「いつかこの本を親に送りつけてやる」という気持ちで、気になった箇所にガンガンにマーカーを引きながら読んでいた、ような気がする。(後日談として、マーカー済みのこの本はしっかり親に送ってやった)

そして、驚いたことに読後はずしんと身体的なダメージが来た。

今までも、本を読んで暗い気持ちになる、とか、嬉しい気持ちや楽しい気持ちになる、ということは普通にあったことだけれど、大抵それは短期的なもので、読後10分もすればその読後感はスッと抜けるものだった。

でも、この本は読了した翌日に、起き上がれないほど体が重くて、子どもたちを保育園に送り出してその後もう一度ベッドに戻って、ご飯も食べずお昼過ぎまで横になっていないと耐えられないような状態になった。

なんだったんだろうね、あれは。

 

とにかく、復職後だったら読めなかった本、休みの間に読んでおいてよかった本だと思う。

この本自体はもう、実家の親に送ってしまって自分の手元にはないので、あらためて「完全版」の方を買いたいと思っている。

 

 

6月。

復職しました。で、体力がなくてほとんど本を読めなかったのだな。

「『家事のしすぎ』が日本を滅ぼす」は、家事の話というよりフェミニズム本だった。この頃から私のフェミニズムへの傾倒が進んでいる。

クドカンの小説はやたらと下品だったのだけど、「田舎で青春を拗らせる高校生」という点では共感ポイントがそれなりにある。

なんだろうな、「地元で大人になってはいけない」というあの焦燥感。3年間がやたらと長く感じた牢獄のような日々は。

どちらか選べ、と言われたら、やっぱり東京に出てきてよかったと思う。

 

7月。

引き続き本を読む時間がない。



8月。

「ぼくたちの離婚」は男性サイドから見た離婚ルポ。

メンヘラの配偶者に振り回される話がゾッとするが、メンヘラに振り回される渦中にいると「早く別れればいいのに」という忠告が耳に入ってこないんだよな。

自分もしんどいし、相手のことが苦手になりつつあるんだが、「今別れるといったら逆上して刺されたり、社会的に不利益を被るかも」という恐怖が芽生えてくるの、わかります。

学生時代や若い頃だと比較的軽傷で済むから、若いうちに痛い目に遭っておくのが良いのかも。

本当に、娘が成長してメンヘラパートナーに捕まったらたまりませんわ。どうか人を見る目だけはしっかり養ってほしい。

 



9月。

仕事でもプライベートでもメンタルをやられていた頃。

読書メーターに書いた感想はこんな感じ。そうそう、親が暴発していた時期でした。

この頃から私自身は本格的にカウンセリングに通うことを考えていたんだよな。

 

手元にあるのは愛蔵版だけど、単行本の初出は1987年、なのかな? 相変わらず過干渉な父に苦しめられて手に取った本。「毒になる親」の日本語版初版が1999年なので、それより古い。が、毒親の病理を見事に言い当てている。自分の父親の話を書いているのかと思うほど心当たりがありすぎて苦しかった。最後に、著者ご本人が親との関係に苦しんだ、という記述があり、自分を観察対象としながら思索を深めてきたのだなと思ったら余計に苦しくなった。

 

10月。

読書のペースは回復してきたものの、相変わらず軽い本が多い。

リモートワークストレスが高まっていた頃に読んだのが「不機嫌な職場」。

その後も1年以上リモートワークが続いているけど、これ本当に辛い。週5で会社に行きたいとは思わないが、週2か週3では絶対に出勤したほうがいい。

 

 

11月。

時間ができて、急激に読書量が回復した時期。プレゼンをしたり、文章を書いたりという機会が増えたので、関連本を読んだ様子。

「統計は暴走する」は文系にもわかりやすい統計入門書でよかった。

「もし文豪たちがカップ焼きそばの〜」は初速は非常に面白いのだが、途中で飽きて読むのが苦痛になってくる。読書メーターのレビューを読むと、「クノーね!」みたいに言っている読書家さんたちがちらほらいて、こういう取り組みは比較的古典的な遊びであるということがわかった。そういうことがスラスラ出てくる大人になりたい。

 

 

12月。

比較的本を読む時間が取れている。

「『家族の幸せ』の経済学」はネット記事でも話題になっていて、つまみ食いをしたことがあったので、書籍であらためて知る情報は少なかったものの、最終章の「離婚の経済学」は初めて触れる内容で面白かった。「いざとなったら離婚できる」という事実が幸福度を上げる(近代は離婚はタブーだったので、「逃げ道がない」という事実が家族を苦しめていた)という話に膝を打った。それ以来、「いざとなればの選択肢はある」と思いながら生きている。私自身の経験から考えても、ギスギスした家庭で育つより、片親でも心休まる家庭で育った方が人格面での歪みは少なく済むと思う。

 

「子どもの脳を傷つける親たち」も一種の毒親本だが、医学的エビデンスに基づいているのが良い。心理学的アプローチだけだと男親に理解させるのは難しいが、MRIで「心的虐待により脳が萎縮する」という事実が示されているので、説得材料として有用。

あと、「一時的にマルトリートメント(誤った子育て)をしてしまっても、その後修正することはできる」と述べられていることも心強い。「理想の子育て」があっても、なかなかそれを維持し続けることはできないからね。

 

この辺りから、小説を読むことを意識し始めているが、「空中庭園」はあまりピンと来なかった。

 

 

いい夫婦の日だそうだ。

Twitterのトレンドに「結婚報告」があったので、なんで?と思ったら、今日はいい夫婦(1122)の日なのだそうだ。

だから、「いい夫婦になれますように」という願いを込めて結婚する夫婦が多いのだろうな。

結婚された皆様、おめでとうございます。

 

それでだよ。

結婚した先にあるのは薔薇色の未来ではなく地に足をつけた生活である。

生活の中で、子どもを産み育てる夫婦もいるだろうし、老親介護問題に頭を悩ませる夫婦もいるだろう。

当の本人たちだって未来永劫元気で若々しく美しくいられるわけではないので、だんだん老いていくし、あちこち痛くなったり、やたらとふくよかになったり、病気をしたりしながらその後の長い人生を生きていく。

 

結婚7周年を少し過ぎた私たち夫婦も、まさに地に足のついた、そして茨の生い茂った生活の真っ只中だ。

最小構成単位である2名でスタートした私たち家族は、一人増え、二人増え、4人になった。

正直いってバチくそ辛い。悪夢を見ているんじゃないかと思うことがままある。そしていつも体のどこかが、しかも複数痛い。

 

田舎の祖父母同居の専業主婦家庭で生まれ育ち、「2人きょうだい3人きょうだいは当たり前! できれば後継となる男児を産むべし!」という価値観をゴリゴリ刷り込まれ、おまけに発酵熟成させた私は、母のようになるものかと働き続ける人生を選んだものの、家族観だけは更新できず、「なんとかなるだろ」と子どもを2人産んだ。

 

甘かった。

 

全然なんとかなっていない。

そもそも私の母はとっくの昔に死んでいるし、配偶者の実家は関西地方にあり、最速の交通手段を選択しても3時間はかかる。

日々世の中に呪詛を吐きながらぎりぎり生きている状態だ。

この間は単身での飲み会に3年ぶりに行った。その前は次女の妊娠中だった。その事実に気づいた時「ひょっとして私は気づかないうちに収監されていたのではないか」と首を傾げた。

 

結婚の先に待っているのはそんな限界突破サバイバルな日々であるにも関わらず、プロポーズだの婚約だのの言葉が(大抵は男性から女性へ)「あなたを幸せにします」で良いのだろうか。

「幸せ」とは何か、要件定義はできているか。納得するまで価値観を擦り合わせているか。

 

「幸せ」とは、衣食住に困らず、子どもをもうける場合には双方の希望人数が一致しており、不妊治療を受ける場合にはいくらまでなら費用をかけられるか検討し、家事はお互いに不公平感のないように分担し、子どもの教育は中学受験をするのか、高校まで公立なのか、いやいや大学まで国立なのか、小学校からインターナショナルスクールに入れたいのか費用面も含めてプランを立て、親の介護は必要になった場合は自宅で介護するのか施設に入れるのか話し合い、どちらかが早くに亡くなった場合には残された方は再婚するべきかその後独身を貫くかまで合意することなのではないか。

 

ごめん、言い過ぎた。

 

でも、「あなたを幸せにします」が、「生活に必要なお金は僕が稼ぐのであなたは安心して仕事を辞めて家事育児に専念して毎日美味しいご飯を作って部屋は清潔かつ整理整頓された状態にしてくだい。あと僕の両親とは同居してね」という意味だとすると、「いやちょっと待てそれは応じられない」となるじゃないか。

 

同じように、「お互い自分の生活を大切にしよう」みたいな話も、「子どもが生まれた場合は当然女性が授乳、おむつ替え、入浴、保育園の選定と送り迎え、塾の検討までしてね。ベビーシッターを使うならその分しっかり稼いでね」だとすると、「お前が大切にしてるのはお前の生活だけじゃろがい」とヘッドロックかましたりしたくもなるというものである。

 

そんな非対称な生活が待ち受けているにも関わらず、「あなたを幸せにします」「あなたは僕の理想のプリンセスです」みたいなプロポーズが令和の今も横行しているのだとしたら、おばさんは若い世代の女性たちのために「ちょっとお待ちなさい」とおせっかいを焼きたい。

 

ここで私から提案がある。

結婚にあたり、履歴書・職務経歴書・志望動機を作成して取り交わすというのはどうだろう。

志望動機にはお互い重要事項についての質問項目を記載しておくといい。

「親の介護が必要になった場合はどうしますか」とか、「僕が失業した場合はどうしますか」とか。

そして、特に子どもを希望する夫婦に関しては職務経歴書に子どもと関わった経験や意気込みなども書いておきたいところだ。

「小さい頃は歳の離れた弟の面倒を見ることが多く、おむつ替えやミルク、入浴など一通りできます」とか、「子育ては未経験ですが、子どもは大好きなので、ネットや書籍を活用して積極的に勉強し、実務に取り組んでいきたいと思います」とか。

そして、いい夫婦の日の日にはそれらの事項が守られているか確認しよう。年に一回のモニタリングの日だ。

それで債務不履行があれば「おまえ履歴書に書いとるやろが!」と言えば良い。万が一二人の生活が破綻し離婚に至る場合も、債務不履行の証拠として活用できるだろう。

 

いい加減、プロポーズをふんわり仕上げにするのはよそう。

ふんわり仕上げにした場合に、誰が不利益を被るかということを明確にすべきである。

岸田総理のふんわり仕上げに不利益を被っているのはだれか。そういうことである。

 

そんなわけで、今日結婚されたみなさんも、すでに結婚してキラキラしない日々を過ごすみなさんも、夫婦生活のベテランの皆様も、夫婦であることを維持するために精一杯努力していきましょう。

心が折れたら専門家、カウンセラーや家事代行やベビーシッターを頼りましょう。

意識的に休む、ということ

 

風邪を引いた、という話の続き。

扁桃腺が腫れて、放置すると長引く予感がしたので、意を決して金曜日は有給を取りました。

とりあえず差し迫った仕事は手元を離れていた、ということもあって、休んだところで大きな影響は出ないだろう、と。

 

でも、金曜日の朝の段階では、ベッドから起き上がるのが苦痛なくらいには弱っていたので、「元気な長女だけでも保育園に預ける」という前日の目論見は達成ならず。

元気な長女&熱はあれどもじっとしていない次女vsボロ雑巾のようなアラフォーで半日強を乗り切らなければならなかった。

(いつもより少しだけ夫が早く帰ってきてくれたので、夕食まで1人で乗り切らなければならない事態は免れた)

 

このところ、作り置きを作ったりする時間も取れていなかったので、まあ詰んでいたよね。

プリキュアカレーのストックすらなかったしな。

 

前々から思っていたけれど、体力の限界まで働いてはダメ。

我が家の場合、私が倒れるとオペレーションが回らなくなるので、唯一かつ最後の砦として、母ちゃんは踏ん張らなければならないのである。

 

ちょっとでもしんどいと感じたら、意識的に休みをとって、ヘッドスパなりマッサージなりメンテナンスの時間をとって、気が済むまで寝て、録り貯めたドラマを消化しなければならないのだ。

 

1ヶ月くらい、まともにドラマを観られていなかったので(だいたい平日にお昼ご飯を食べながら見ている)、我が家のHDDレコーダーの残量が限りなく0に近づいている。

ドラマばかりではなく、本も読めていないし、最近ハマっていたPodcastすら聴けていない。

Podcastだぞ! 目や手が使えなくとも、耳だけで楽しめる究極の手段として、今年の春から導入したPodcast

それすら聴けない、聴いていても頭に入ってこない。

これは相当末期症状だな、と思った。

体は生きているが、心は死んでいる。

 

子育てをしていれば、自分の時間が少なくなるのは、ある程度やむを得ないこととして受け入れるとしよう。

でも、人とコミュニケーションを取ったり、興味があるもの/ことの情報収集をしたり、ちょっとした息抜きをする時間すらままならないっていのはどういうことなんだ。

この状況、リモートワークになってから悪化している気がする。

生身の人間との接点が減って、雑談の機会が減って、「手は動かしてるけど冗談を言い合っている」みたいな状況もなくなり、ランチ終わりにジャン負けでコーヒー奢ったりお菓子買ってもらったりすることもなくなり。

 

真面目な人が真面目に業務をこなしている、それだけの話なのかもしれないけど、なんだか会社全般が圧倒的につまらなくなってきている気がする。

そして、今の会社には、「コミュニケーションなんて必要最低限でいいよね」と思っている人がすごーく多い気がしている。

こんなことなら本当に、人間じゃなくて機械がやれば良くない? AIがやれば良くない?

 

意識的に休むことは死ぬほど大事だ。

だって休まないと死んじゃうもの。

うちの会社がおかしいのか、新型コロナウィルスが蔓延してしてから社会全体がおかしいのか。

ああ息苦しい、つまらない。

生活がままならぬ

 

週後半から風邪を引きました。

 

前の日の夜に娘②が発熱し、「明日は保育園お休みだな」と絶望していたところ、翌朝まんまと、私も扁桃腺を腫らしました。

普通の風邪ですらアラフォーには辛い。

コロナに罹ったら私は真っ先に死ぬんじゃないだろうか。

 

実はここ1ヶ月半くらい、仕事が猛烈に忙しくて、「この生活が続いたら倒れる」という予感はしていた。

部屋を片付ける時間もなく、晩御飯を作る時間もない、で週3でレトルトカレー食べさせたりする週もあった。

ままならな過ぎて、8月の終わりから家事代行を投入し、隔週で掃除と部屋の片付けは手伝ってもらうことにした。

これだけで随分気持ちが楽になった。

 

でも逃れられないのは食事の準備。

流石に1日おきとかに誰かにお米を炊きにきてもらうわけにはいかないもんなぁ。辛い。

 

復職してから、

期末・期初だから

イベント対応で忙しいから

たまたま業務が集中するタイミングだったから

と自分に言い聞かせてここまで乗り切ってきたけれど、気がつけば3ヶ月以上ずっと忙しい。

おかしい。

心が休まらない。

 

一つ気がついたのは、「品質にこだわる」という監査法人ならではの文化が致命的に自分に合っていないんじゃないか、ということ。

業務を担当し、上長の承認を受けるにしても、「レビューを受けている」という色合いが非常に強い。

細かく承認を受けるポイントを用意して、Yesをとっていく感じ。

やり方としては正当なんだろうけど、すごく居心地が悪いというか、いちいちジャッジされている感じがすごく息苦しい。

前の職歴が、人材系のウェイウェイした会社の2年間しかないので、この違和感が適切だと断言はできないのだけど、普通の会社はもうちょっと共感したり、建設的に議論したりということができているのではないだろうか。

 

業務内容的にはやりたいことに近いことをやらせてもらっている気がするけど、ここまですり減る働き方は健全ではない気がするな。

 

忘れてたけど、先週末あたり、ストレスで蕁麻疹出たりしてるんだよね。

これもはっきり、「あの人に言われたあの言葉」ときっかけが特定できるし。

 

そんなわけで、インスタに「2年後に転職」と書いたのだけど、言葉にしたら転職したい欲が余計に高まってしまった。

2年を待たずに転職するかもしれない。それもまたよし、ということで。

言語化する訓練

最近は、仕事で「言語化する」訓練ばかりしている。

 

これまでは曲がりなりにも「会計士」という資格で仕事をし、ある程度定型化された成果物を納品すれば良かったので、その間「意識的に言語化する」という必要性は特に感じてこなかった。

もちろんそれでも、経験が長くなり、役割が上になるにつれて、言語化が必要な機会は増えていくことには違いないのだけれど、あくまで検討したり考察した結果を言語化すれば良かったのであって、「自分の個人的な想い」を言語化する機会はほとんどなかった。

というか、免れてきた。

 

今年の春の復職をきっかけに、会計の専門資格が特に有利に働かない業務に就くことになった。

転職したわけではないので、会計に関する業務に就いているのには違いないのだけど、今までのように高度な会計知識を問われる場面は激減した。

正直なところ、高度な知識を研鑽し続けることに疲れ果ててしまった。

子供2人を抱えて、あそこのフィールドで闘い続けるのは私には無理だ。そんな根性は私にはなかった。

 

そんなわけで、管理部門に異動して、いろんな人の意見を聴いたり、思惑をまとめたりして調整する業務をしている。

その中で、ありがたいことに「自分の言葉で発信する機会」をたくさんもらえることになった。

 

のはいいのだけど。

 

私は自分の想いをうまく伝える言葉がない。

誰かの想いをうまく汲み取って、わかりやすく誰かに伝えることもできていない。

 

言語化するということから遠ざかってきたのだ。10年以上の長きにわたって。

 

自分が一番たくさんの言葉を持っていたのは、大学在学中から卒業して2年後くらいまでだと思う。

つまり、大学受験のために必死で「ことば」(この場合、日本語か英語かは問わない)を学び、論理構成を捉え、適切な言葉で言い換えるという訓練をし、大学生になって単位を取るために、自分を表現するために、必死に文章を書き続けていた頃だ。

そして、就職後も、業務の一環ではあったけれど、誰かの想いを伝えるために、文章、ひいては表現と必死に向き合い続けていた頃だ(注1)。

 

前職を辞め、親の介護をし、資格取得の勉強を始めた頃から、「自分の言葉で語る」ということからは長らく離れてしまった。

一つには、「相対的な正解のある世界」で生きてきてしまったから。

もう一つには、食欲、睡眠欲という原始的な欲求を満たすことが最重要課題である時期が長く続いているから(すなわち、子育てに多大な労力を注ぐ日々が続いているから)。

 

長いブランクを経て、今改めて「自分の言葉で語る」訓練をしている。

適性に悩みながら監査の仕事をしていた頃に比べれば、自分のやりたいことに近づいている実感は間違いなくある。

しかしまた、新たな悩みもある。

 

わかりやすく伝えることは難しい。

自分の心の中にあるモヤモヤを言葉にするのは難しい。

誰かを傷つけずに発信することはさらに難しい。

わかりやすい成果の見えない仕事は、目的を見失いやすい。

 

そんなわけで、日々悩んだり迷ったりしながら働いている。

そして、忙しすぎて少し息切れしている。

 

吐き出すためには、適切な量のインプットが必要だと思うのだけど、その問題とはどうやって向き合えばいいんだろうな。

 

終わり。

復職1ヶ月のメモ

復職して1ヶ月が経ちました。

なんとか元気にやっています。

 

復職前は「在宅勤務だし、お昼休みにドラマ観たり、ヨガやったり、近所の飲食店開拓したりできるのでは?」と思っていたのですが。

 

甘かったね。全然甘かった。

能年玲奈!(「あまちゃん」)

 

 

在宅勤務の良いところは出勤しなくていいところ。

これは、保育園児二人を抱えた我が家にとっては何物にも代えがたいメリットです。

子供一人の時でもそこそこ通勤は大変だったけれど、二人いたら荷物は単純に倍。

しかも、下の子はまだ一人で歩けないので、交通手段はベビーカーか抱っこして自転車です(道路交通法上はおんぶかチャイルドシートに乗せないとだめらしいけども)。

 

特に、長女の寝起きは最悪なので、なんとかご飯を食べさせ着替えさせ宥め賺して自転車に乗せ保育園にねじ込む頃にはライフゲージが赤くなっていることもままある。

(事務所までの電車の乗車時間がそこそこあるので、うつらうつらして体力回復が図れたりもするのだけど)

 

これが、在宅勤務になると通勤時間片道約1時間が節約できるわけですよ。

単純に、朝1時間ゆっくり寝られる。

もしくは、朝の時間に時間がかけられる。

超ありがたい。

 

ここ二週間ほどは、早めに起きて10分ほどヨガをしています。

おっしゃれでしょう?

 

 

ところが。ですよ。

在宅勤務の悪いところは、移動距離が0になること。

コロナ禍に見舞われる以前は、ミーティングは基本的に顔を付き合わせてやるものだったわけで。

一部「クライアント先の会議室にいるので、リモートで参加しまーす」ってことはあったものの、会議の際は会議室を押さえて、顔を付き合わせて、たまには差し入れのお菓子を持ち寄りながらアイスブレイクをして会議に臨んでいたわけですな。

 

偉い人は会議をかけもったりもするので、朝一で大手町、昼は晴海、午後は品川、夕方は渋谷、みたいなスケジュールになっていたわけなのですが、我々のような下っ端は偉い人の移動込みのスケジュールで会議を設定できるので、意外と余裕がある。

出社していると、忙しい時間帯もあるけれど、それなりに余裕のある時間帯、余裕のある日があったりして、「今日は平和だねー」などとお茶休みをとりながら仕事ができていたのです。

 

が、会議のリモート開催がデフォルトになると、そんな甘ったれたことを許してくれない。

午後のカレンダーを見たら30分刻みの会議が8本連続、みたいなことがある。

結構頻繁にある。

そうすると、手を動かす時間はどこにあるんだ、ってことになりますよね?

そう、朝とか昼休みしかない。

コロナ以前は同僚とお喋りをしながら息抜きをする時間だったお昼の時間が、必死に手を動かす時間に変わったのです。

 

ゆっくり食べる時間はないので、とりあえずレトルトカレーを大量に買い込んで、レンチンしてご飯にドサッ。

詫びしい。詫びしいですよ。

自宅の近所に美味しそうな飲食店がたくさんあるのに!

コロナ禍色々大変な飲食店を「食べて応援」したいのに!

 

そんなわけで、復職後、想像の2〜3倍は忙しく働いています。

 

ただ、異動希望がかなって企画部門的なところに配属になったので、苦手だった業務から離れ、割と楽しく働けています。

むしろ、仕事が楽しくなってしまって、家事や育児が疎かになりつつあります。

いかんな。。

 

今のところ、

・平日の夜は寝室に携帯を持ち込まない

・子供たちが起きている間は家で仕事をしない

ということは厳守するようにしています。

寝室に携帯を持ち込まないのは、睡眠の質も高まってなかなかよきですよ。

 

 

あー。

せっかくの有休なのでもうちょっと中身のあるエントリーができるかなと思ったけど、全然だめだった。

 

とりあえず、とても元気に生きています。

相変わらず体力がないのだけは深刻になんとかしたいな。。

いよいよ今日が育休最終日。ってなわけで「ここが違うよ第二子育休!」後編

さて、週が明けていよいよ育休最終日です。

 

最後の週末も、子供たちを接待すべくお出かけしたり、お出かけ帰りに車を擦ったり、せっかくの日曜日の夕方にディーラーに駆け込む羽目になったりして夫からお叱りを受けたカタヤマです。

皆さんお元気ですか?

 

当初の目論見では第一子vs第二子の育休の違いは先週の中に書き上げて、今日はエモい復職エントリでも、と思っていたのですが、書き出したら前回の記事が思いの外長くなりましてね。

頑張って書き上げよう!(夏休みの宿題みたい)

 

それでは続きです。どーん。

 

目次

 

6 育休中の慌ただしさが違う

第一子の育休もそれなりに忙しかったつもりでいたのですが。

 

もう全然違ったよね、第二子育休。

毎日息切れして、上の子のお迎えに行く時間には「ハハのライフはもうゼロよ!」となっていました。

 

なぜか。

猿でもわかるその理由は、「上の子がいるから」。

下の子の出産直後はコロナの第一次緊急事態宣言中で、保育園は休園。自宅に私たち夫婦と長女、次女、そして手伝いにきてくれた義母の総勢5人がひしめき合っている状態。

 

義母がいてくれたおかげで、保育園に行けない長女のガス抜きはできていたものの、朝から晩までご飯の心配をしていました。

義母と夫が上の子を伴って買い出しに出てくれたりしたので、負担感はずいぶん軽減されていましたけどね。

 

問題は、夫の育休が終わってから。

その頃には緊急事態宣言も明け、保育園も再開していたのですが、育休中で父母どちらかが自宅にいる場合、長女の通う園では預かり時間が朝9時〜午後4時に短縮されてしまうのでした。

(開所時間は7:15〜18:15。コロナ前の通勤があった頃は8:15頃に預けて18:15ギリギリに保育園に駆け込む感じだった)

 

早く起きても預けられないとなると、早起きするインセンティブがないんですわ。

夫は比較的出勤が遅い&私も夜間授乳で疲れていることもあり、家族が渋々起きるのは8時前後、ゆったり朝の支度をして9時半ギリギリに登園するスケジュールになってしまいました。

ちなみに9時半から朝の会が始まってしまうので、あまりにも遅いと先生からひとこと言われます。

 

長女を登園させて家に帰ると間も無く10時。

次女の離乳食が始まってから帰宅後次女にご飯を食べさせ、片付け、ジムに行き……としているとあっという間に昼食の時間。

次女が3回食になってからは当然次女もご飯。

運良く食後寝てくれればご飯を食べながらドラマ鑑賞。

 

そうこうしている間に、習い事のある日は早お迎えが待っています。

4時を待たずに習い事の荷物を確認し、次女を抱えてお迎えです。

 

付き添いが必要な習い事(ピアノ)は次女をおんぶして一緒に参加。

年中の今は少しピアノらしくなりましたが、年少時代はほぼ歌とリトミックなので、時には立って踊ることも……。いくら0歳児は軽いと言っても7キロとか8キロとかあるわけで、後半は完全に肉体労働でした。

 

母子分離の習い事も、待ち時間は1時間弱なので、本を持って近くのカフェで読書。

もちろんお腹or背中には次女。

幸い、あまり泣かない子なので助かりましたが、時々は立って揺れてご機嫌をとったりしながら本を読むのです。

もうね、上の子の時には結構お世話になったストローラー、第二子ではほとんど使いませんでした。

だって、機動力に欠けるんだもの。

そのために週2でジムに行って体を鍛えていたといっても過言ではありません。

 

そして帰宅後は食事。

食べ終わる頃には元気な子供が2人と、中年の屍の姿が。

1日を終えた後のお風呂ってさ、辛いよね。

長女は長風呂で、入る前は30分とか1時間とかゴネるくせに、いざ入ると1時間近く入っているのですよ(どういうわけか最近は少し短くなった)。

次女は大抵、夫にお任せでした。

 

こんな感じで、気がつくと全然時間がない!

 

上の子の時は、一駅分くらい歩いたところにある大きな公園に行ってみたり、ベビーカーで散歩してからカフェでお茶、とかしていたものですが、いや、そんな余裕はないよ。

確かに、子供一人でもそれなりに忙しかった気がするけど、活発な年少児を抱えていると、保育園や幼稚園があってもこんなに慌ただしいものなんだな、と痛感しました。

 

 

7 保活が違う

保育園が決まった話はこちらに書きましたが。

 

katayama-san.hatenablog.com

 

第二子の保活は気楽でした。

兎にも角にも、保活を取り巻く環境が上の子の時から比べて大幅に改善されたというのが大きいです。

在園児がいる場合の兄弟姉妹は入園選考にあたり優遇されるので、どこにも入れないかもしれないという不安はほとんどありませんでした。

 

あとはまあ、基本的には「上の子と同じ園が第一希望」なので、その他の園はそこに入れなかった場合の保険として、参考程度に話を聞く、という感じでした。

上の子の時に見学に行ったところの情報もあるので、

・上の子の時に入りたかったけど落ちてしまった園(今回は第二志望にする)

・上の子の入園以降にできた新設園

の2園? おお、2園しか見学してませんでした!

(もっと見学したつもりになっていた)

認証&認可外に関しては見学すら行かなかったな。

入れなかったら育休を延長するつもりでいました。開き直りよ。

 

第一子の時は見学のポイントも定まっていませんでしたが、上の子を預けていると保育園選びに関して重視することも明確になっているので、要点を絞って見学できたと思います。

 

 

8 入園時の寂しさが違う

長女は生後9ヶ月から、諸事情により一時保育に定期的に通っていました。

そんなわけで、「子供を他人に預けるのは全くの初めて!」という人に比べればスムーズに保育園に通えたとは思うのですが、とは言ってもやはり初登園からの数日は寂しいものでした。

 

登園初日、2時間くらいしかない慣らし保育の時間に、夫とお疲れ様のコーヒーを飲んでしみじみしたものですよ。

 

下の子の入園?

寂しさが0と言ったら嘘ですけども。

まあお姉ちゃんもいるし、先生たちも新任の先生以外はほとんど知っているし。

送り迎えで次女は先生たちともちょくちょく会っているし。

 

お互い「ようやく入園したね〜」という感じでした。

これで四六時中赤子を背負い続ける生活から解放だ、背中と腰が喜ぶね!という。

上の子の保育園や習い事が一緒で下の子も同級生のママに時々会うと、「早く預けたい」「働いている方がマシ」「重たい」という声が優勢でした。

特に、夏前生まれちゃんのママたちは「あと一年休むと子供の発達的に(活発に動き回るので)しんどい」という声が多かった。

そう、実際預けてみると、保育園ってかなり手厚い保育を受けられるので、母が知恵を絞って子供と遊ぶより良い刺激になるのですよ。

プロにお任せする心強さよ。

 

ただ、次女は入園後、「帰宅してご飯を食べると疲れてそのまま寝てしまう」ということがそれなりにあり、「今日は次女とほとんど遊んでないな」ということも。

これは流石に寂し過ぎるので、時々は戦略的に有休をとりながら、次女と過ごす時間を確保したいと思っています。

 

 

9 復職の嫌さが違う

長女の復職の時は、コロナ禍ではなく、通勤を前提とした復職でした。

私の場合、客先に出ることもある仕事なので、「定時で帰ります」と言っているのに、片道1時間以上かかるクライアント先に派遣されることもあり、保育園の開園と共に長女を預け、閉園ギリギリにお迎えに駆け込む(時折間に合わなくて急遽延長保育になる)ということがままありました。

(メインのクライアント先は上司と事前に合意していたけど、ヘルプで行くクライアントは体力的にしんどい立地のところもあった。まあ子持ちが少ない職場なので、この辺は難しいんだろうなあ)

 

一方、今回の復職は、基本的には在宅勤務。

緊急事態宣言中だから、ということではなく、私の会社は今後もベースは在宅勤務を維持するようです。

ドレスコードも廃止されたそうで、「クライアント先に出る時に失礼がなければ良い」のだそうです。

ちなみに復職後はクライアント先に出ない部署になるんですけど、その場合は…?

 

ともあれ、

・通勤時間込みで早めに家を出なくて良い

・パソコンを担いで満員電車に乗らなくて良い

・常識的な範囲で限りなくカジュアルな格好で良い

・なんなら化粧もしなくて良い

・中抜けして子供の習い事の送迎をしても良い

・苦手な上司と事務所で顔を合わせなくて良い

・そもそも部署移動して、業務内容的にも嫌なことが減る(はず)

という状況なので、「全然嫌じゃないですむしろ積極的に仕事復帰したいよっしゃオラ!」みたいな状況ではないですが、とりあえず大人との接点ができて定期的にお給料が入るので嬉しいです(語彙)。

 

仕事に関しては、今回の育休で

・無理はしない

・少し落ち着いたら、自分の好きな仕事をやる

と強く強く決心したので、まずは3年、期限を決めて、頑張りたいと思います。

無理はしないけど、自分の中で区切りがつくだけの成果は出せるといいな。いや、出すぞ。

 

 

おわりに 出来るだけアウトソースして暮らしたい

私は元来、めちゃくちゃ怠け者の人間です。

でも、子育てはとにかく頑張り続けることが求められる。

 

子供が生まれる前なんて、仕事してるだけでもしんどかったのに、さらに子育てもしんどくて、仕事はさらにままならなくなる。

残業できない。

完了まで見届けられない。

残りは周囲の誰かにお願いするしかない。

勉強するための時間はなくなる。

出来の良い後輩にどんどん抜かされる。

1度目の復職の時を思い出しても、ネガティブなことばかり頭に浮かびます。

 

あー、私なんで働いてるんだっけなー。

子供が生まれる前は、仕事に対してキラキラした夢とか目標とか持ってた気がするけど、そんなのできなくない? 私スーパーサイヤ人じゃないし。

鬼殺隊でいえばどちらかというと村田さんか、なんなら隠だし。

 

が。

考えてみれば子育てしているだけで結構頑張ってるじゃないか、と思うのです。

ちゃんと毎日ご飯を食べさせて、お風呂に入れて、寝かしつけてるし、毎日キレ散らかしてるわけでもないし。

部屋は散らかっていることの方が多いけど、子供達の情緒も比較的安定しているし、十分及第点なのではないかね、と。

 

誰かも言っていましたが、人生の全ての場面で全力投球することはできません。

仕事でも抜群の成果を上げて、子供は元気で礼儀正しく勉強もできる、部屋は常にピカピカで毎日雑誌に載るような料理を作って……

なんてそんな風にいくわけがない。

見えないところでどこか必ず手を抜いているに違いありません。

もし全部完璧という人がいたら……パラノイアでは。

 

だから、優先順位をつけるということは大事なことなんだと思います。

子供と楽しく暮らしたい。

仕事も、長期的にみたらそれなりに頑張りたい(短期的に生産性が下がるのはもう、仕方ない)。

料理は無理のない範囲でできれば良い。でも出来合いのものや外食でもいい。

家事は苦手なのでできれば他人の手を借りたい。

 

 

苦手なことは手を抜いたり、他人にお願いしたりして、楽しいこと、やりたいこと、意義を感じられるものを重点的にできる生活をしたいなと思います。

今までお願いしたことがなかったシッターも、これからは本格的に検討したいと思っています。

それで少しでも疲れずに済んで、子供と過ごす時間の密度が上がればいいじゃないか、と思うわけです。

 

一年ちょっとおやすみをいただきありがとうございました。

明日からまたサラリーマンに戻ります。

 

自由な時間は少なくなりますが、また時々ブログを更新できたらなと思っています。

それではまた。