カタヤマさんの頭の中

久しぶりの実名ブログです

言語化する訓練

最近は、仕事で「言語化する」訓練ばかりしている。

 

これまでは曲がりなりにも「会計士」という資格で仕事をし、ある程度定型化された成果物を納品すれば良かったので、その間「意識的に言語化する」という必要性は特に感じてこなかった。

もちろんそれでも、経験が長くなり、役割が上になるにつれて、言語化が必要な機会は増えていくことには違いないのだけれど、あくまで検討したり考察した結果を言語化すれば良かったのであって、「自分の個人的な想い」を言語化する機会はほとんどなかった。

というか、免れてきた。

 

今年の春の復職をきっかけに、会計の専門資格が特に有利に働かない業務に就くことになった。

転職したわけではないので、会計に関する業務に就いているのには違いないのだけど、今までのように高度な会計知識を問われる場面は激減した。

正直なところ、高度な知識を研鑽し続けることに疲れ果ててしまった。

子供2人を抱えて、あそこのフィールドで闘い続けるのは私には無理だ。そんな根性は私にはなかった。

 

そんなわけで、管理部門に異動して、いろんな人の意見を聴いたり、思惑をまとめたりして調整する業務をしている。

その中で、ありがたいことに「自分の言葉で発信する機会」をたくさんもらえることになった。

 

のはいいのだけど。

 

私は自分の想いをうまく伝える言葉がない。

誰かの想いをうまく汲み取って、わかりやすく誰かに伝えることもできていない。

 

言語化するということから遠ざかってきたのだ。10年以上の長きにわたって。

 

自分が一番たくさんの言葉を持っていたのは、大学在学中から卒業して2年後くらいまでだと思う。

つまり、大学受験のために必死で「ことば」(この場合、日本語か英語かは問わない)を学び、論理構成を捉え、適切な言葉で言い換えるという訓練をし、大学生になって単位を取るために、自分を表現するために、必死に文章を書き続けていた頃だ。

そして、就職後も、業務の一環ではあったけれど、誰かの想いを伝えるために、文章、ひいては表現と必死に向き合い続けていた頃だ(注1)。

 

前職を辞め、親の介護をし、資格取得の勉強を始めた頃から、「自分の言葉で語る」ということからは長らく離れてしまった。

一つには、「相対的な正解のある世界」で生きてきてしまったから。

もう一つには、食欲、睡眠欲という原始的な欲求を満たすことが最重要課題である時期が長く続いているから(すなわち、子育てに多大な労力を注ぐ日々が続いているから)。

 

長いブランクを経て、今改めて「自分の言葉で語る」訓練をしている。

適性に悩みながら監査の仕事をしていた頃に比べれば、自分のやりたいことに近づいている実感は間違いなくある。

しかしまた、新たな悩みもある。

 

わかりやすく伝えることは難しい。

自分の心の中にあるモヤモヤを言葉にするのは難しい。

誰かを傷つけずに発信することはさらに難しい。

わかりやすい成果の見えない仕事は、目的を見失いやすい。

 

そんなわけで、日々悩んだり迷ったりしながら働いている。

そして、忙しすぎて少し息切れしている。

 

吐き出すためには、適切な量のインプットが必要だと思うのだけど、その問題とはどうやって向き合えばいいんだろうな。

 

終わり。