カタヤマさんの頭の中

久しぶりの実名ブログです

名前があることで救われる人がいる 〜「毒になる親」読み始めました〜

 

気になっていて手元に置いていたもののなかなか読み始められなかった本、「毒になる親」を読み始めた。

 

 

著者のスーザン・フォワードは「毒親(toxic parent)」の名付け親である。

 

日本でも、信田さよ子さんのアダルトチルドレン研究や、田房永子さんなどの当事者研究などにより、近年ずいぶんと市民権を得てきた言葉だ。

(他にも斎藤環さん、佐野洋子さん、上野千鶴子さんなど、関連する著作を上梓している作家は枚挙に遑がない。というか最近一種のブームなので、アマゾンとかで検索すると若干怪しいのまで含めて大量に出てくる)

 

日本での初版発行は1999年、原書である「Toxic Parents, Overcoming Their Hurtful Legacy and Reclaiming Your Life」の出版は1989年だそうだ。

 

意外と古い概念なのだが、私が「毒親」という言葉を認知したのも、「自分の親は毒親かもしれない」と認識したのも、30代に入ってから、つまり2010年代に入ってからである。

(今調べたところ、田房永子さんが「母がしんどい」というコミックエッセイを出版したのが2012年なので、この頃から急激に一般的な認知が進んだのではないかと思う)

 

幼い頃から、私の親(父)は過保護であり、気分屋であり、身勝手であり、子供の人生にズケズケと干渉してきた。

時には「あなたのお父さんってちょっと変わっているね」と友達の親から面と向かって言われることもあった(そういう言葉を直接的に子供に投げかけてくる大人もどうかと思うけど)。

 

ただ、私にとって長らくそれは「子供が可愛いが故に過剰に干渉してくる親」に過ぎず、その干渉が自分の人格形成に大きな負の影響を与え続けてきたなどとは夢にも思わなかった。

 

ただ、私が25歳の時に母が亡くなってからは、家族のバランスが目に見えて崩れていった。

父は母の病気を気に実家に帰った私に、強権を振るい続けた。食事を作れば「お前の飯はまずくて食えない」と言い、当時健在だった祖母の介護は私に一任された。一人暮らしの奔放な生活から、突然羽も足ももぎ取られた私は、母が亡くなった喪失感とどこへもいけない息苦しさで発狂寸前だった。物に当たった。大声を出して叫んだし泣いた。

(今も克明に覚えているが、「祖母さんはお前が看取ってやってほしい」と言われたのだ。その時の祖母は矍鑠としており、まだまだ長生きしそうな気配であった。祖母が健在の間私が実家に縛り付けられるというのはどういうことか。祖母に長生きをしてほしいという気持ちと、早く実家を出たいという気持ちは当然競合した。つまり、私が実家を出るためには祖母に死んでもらうしかない構造になった。それって健全だろうか?

 結果的に祖母は母の死後半年ほどで後を追うように亡くなったが、祖母は私のために、当初の予定よりも早死にしてしまった気がしてならない。)

 

いや、それ以前に、私が大学進学のために実家を離れてから、すでに我が家のバランスは崩れていた。弟は登校拒否になり、母は明らかに鬱傾向だった。

 

客観的に見れば我が家が問題を抱えていることは明らかだったが、家族の誰もがその事実から目を逸らしていた。もちろん、私も。

 

転機になったのは長女の誕生である。詳しい経緯はこちらの記事に書いたが、私は長女を守るため、第三者の手を借り、問題に立ち向かう決意をした。

 

 

この時から4年が経ち、私は自分を縛り付けている呪いを少しずつ理解し、癇癪も減り、驚くほど健やかで幸せに暮らせるようになっている(とはいえ今でもブチッと切れることはなくはない)。

もちろん、そこには「まともな人」である夫の存在も大きいと思う(最近誕生日だったので立てておく)。

 

辛い数年間ではあったけれど、なんとか自分も人生を立て直し、人並みに幸福に、穏やかに生きられるようになってきたことは喜ばしいことである。

もちろん、傷は一生消えないので、捻くれた性格が真っ直ぐになることはないものの。

(そして時折親から鬼のように連絡が来る時期があり、その時期は心身ともにすり減ってどん底に落ちるものの)

 

 

こんなふうに、少なくとも人並みの生活を送れるようになったのは、兎にも角にも「毒親」、「アダルト・チルドレン」という言葉に出会えたからだと思う。

 

毒親」という言葉は、もちろん耳障りのいい言葉ではないし、健全な親のもとで育った人は「親のことをそんなふうに言うなんて」と眉をひそめるかもしれない。でも、毒親育ちにそんな言葉を浴びせてはダメ、絶対!

その辺の話をめちゃくちゃわかりやすい言葉でアルテイシアさんが書いてくれているので、是非読んでほしい。

 

am-our.com

 

共感してくれなくていいので、「そういう人がいるんだな」と頭で理解してほしいのだ。そして付け加えるなら、「世の中にはそういう人が意外と多くいる」ということである。

 

実際、毒親ブームの背景には、有名無名有象無象様々な人たちが「私も!」「オイラも!」「おいどんも!」「あたいも!」とカミングアウトを始めたことがあると思う。

 

「なんかずっと生きづらかったけど、そういえばうちの親結構ヤバかったわ!」と気づいた人が大勢いるのだと思う。

毒親」という名前が与えられ、その類型が示されることで、「やだ、これうちの親のこと……?」とピンときてしまった人が続出したのだ。

 

そういう人たちにとっては、「毒親」という言葉自体が救いになる。「親のことを無条件に敬えない自分は人間として欠陥品なんじゃないか」という疑念から逃れることができる。

っつか無条件に愛されたことがないのに、他人のことを無条件に愛せるかっつの!

 

(余談だけど、義父母に出会って、「世の中にはまともな親っているんだな」と驚いた。子供が何言っても機嫌を損ねない親がいるという衝撃よ。私なんて、実家で親の地雷を踏まないように日々ビクビクしながら生きてたもんね)

 

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今のところ、手元にある文庫版については、二部構成のうち第一部を読み終えた。

その第一部の終わりに、極めて重要な記述があるので一部抜粋して引用したい。

 

「毒になる親」というのは、その親もまた「毒になる親」だったのである。「毒になる家系」においては後からくる世代につぎつぎと被害が伝えられ、毒素は世代から世代へと伝わっていく性質を持っている。この流れは、だれかがどこかで意識的に止めないかぎり途切れることがない。

 

私にも親の毒が受け継がれていると痛感する時がある。子供が思い通りにならない時、仕事で過大なプレッシャーを受けた時、子供を必要以上に責めてしまう時がある。

まるで、幼い頃親が私にそうしたように。

 

それでも、私はこの苦しみを、娘たちに絶対受け継ぐまいと固く決意している。

だから、怒りの炎が吹き出して一線を超えそうになる時、あるいは吹き出してしまった後でも、客観的に自分の姿を見て思い止めるか、あるいは反省するようにしている。

そして子供たちには「あなたたちは親の思い通りに生きる必要なんてない、きちんと自分の人生を自分のものとして生きるのだよ」という意味のメッセージを折りに触れ伝えるようにしている。

私は必要な時には、専門家、つまり精神科医やカウンセラーに頼ると決めている。

夫にも、(ある程度オブラートに包んでではあるが)自分の問題についてできるだけ率直に伝えるようにしている。

 

これは私自身が一生立ち向かう闘いなのである。