意識的に休む、ということ
風邪を引いた、という話の続き。
扁桃腺が腫れて、放置すると長引く予感がしたので、意を決して金曜日は有給を取りました。
とりあえず差し迫った仕事は手元を離れていた、ということもあって、休んだところで大きな影響は出ないだろう、と。
でも、金曜日の朝の段階では、ベッドから起き上がるのが苦痛なくらいには弱っていたので、「元気な長女だけでも保育園に預ける」という前日の目論見は達成ならず。
元気な長女&熱はあれどもじっとしていない次女vsボロ雑巾のようなアラフォーで半日強を乗り切らなければならなかった。
(いつもより少しだけ夫が早く帰ってきてくれたので、夕食まで1人で乗り切らなければならない事態は免れた)
このところ、作り置きを作ったりする時間も取れていなかったので、まあ詰んでいたよね。
プリキュアカレーのストックすらなかったしな。
前々から思っていたけれど、体力の限界まで働いてはダメ。
我が家の場合、私が倒れるとオペレーションが回らなくなるので、唯一かつ最後の砦として、母ちゃんは踏ん張らなければならないのである。
ちょっとでもしんどいと感じたら、意識的に休みをとって、ヘッドスパなりマッサージなりメンテナンスの時間をとって、気が済むまで寝て、録り貯めたドラマを消化しなければならないのだ。
1ヶ月くらい、まともにドラマを観られていなかったので(だいたい平日にお昼ご飯を食べながら見ている)、我が家のHDDレコーダーの残量が限りなく0に近づいている。
ドラマばかりではなく、本も読めていないし、最近ハマっていたPodcastすら聴けていない。
Podcastだぞ! 目や手が使えなくとも、耳だけで楽しめる究極の手段として、今年の春から導入したPodcast!
それすら聴けない、聴いていても頭に入ってこない。
これは相当末期症状だな、と思った。
体は生きているが、心は死んでいる。
子育てをしていれば、自分の時間が少なくなるのは、ある程度やむを得ないこととして受け入れるとしよう。
でも、人とコミュニケーションを取ったり、興味があるもの/ことの情報収集をしたり、ちょっとした息抜きをする時間すらままならないっていのはどういうことなんだ。
この状況、リモートワークになってから悪化している気がする。
生身の人間との接点が減って、雑談の機会が減って、「手は動かしてるけど冗談を言い合っている」みたいな状況もなくなり、ランチ終わりにジャン負けでコーヒー奢ったりお菓子買ってもらったりすることもなくなり。
真面目な人が真面目に業務をこなしている、それだけの話なのかもしれないけど、なんだか会社全般が圧倒的につまらなくなってきている気がする。
そして、今の会社には、「コミュニケーションなんて必要最低限でいいよね」と思っている人がすごーく多い気がしている。
こんなことなら本当に、人間じゃなくて機械がやれば良くない? AIがやれば良くない?
意識的に休むことは死ぬほど大事だ。
だって休まないと死んじゃうもの。
うちの会社がおかしいのか、新型コロナウィルスが蔓延してしてから社会全体がおかしいのか。
ああ息苦しい、つまらない。