カタヤマさんの頭の中

久しぶりの実名ブログです

次女が生まれた時のこと〜コロナ禍出産の記録①〜

 

〜復職も迫ってきたので、次女出産の時の話を書いていこうと思います〜

 

次女の出産に際し、思い描いていたバースプランがあった。

 

妊娠・出産はこれが(たぶん)最後なので、夫の他に長女にも立ち会ってもらうこと。

計画無痛分娩は決まっていたので、それほど取り乱さずに出産できるはず。

「『お母さんがんばれ』って応援してね」

「喉渇いちゃうと思うから、時々お水を飲ませてね」

「背中に針を刺すと、お腹が痛くなくなるんだよ。そしてうーん、うーん、って頑張っていきむと、赤ちゃんお股から出てくるからね」

 

(良識ある大人がみたらドン引きするような)迫真の演技で、出産のデモンストレーションもして見せた。

そしてお股から飛び出すぬいぐるみ。

「はい、泣きましたー! 元気な女の子ですよ。」

「へその緒は長女が切ってみようか!」

 

そんな折の緊急事態宣言である。

コロナ禍が徐々に広がっていく中でも、私の通っていた産院は当初「マスクをしていればお子様も立ち会い可」だった。それが3月の終わりになり「大人のみ」になり、最終的には「立ち会いも産後の面会も完全不可」になった。

 

オーマイ!

 

辛かった妊娠生活を経てようやく迎える出産日。それがこの仕打ち。クソったれコロナめ!

病院側の対応を責めるつもりはないけれど、なんでこんなことになってしまったのか。本当に、人生最後の出産のつもりなのに。

 

ともあれ。

意外に立ち直りは早く、生産期に入ってからは検診のたびに「限界です早く産みたいです」と医師に訴え続けていた。

経産婦だからなのか、妊娠10ヶ月(36週)を迎えた頃から、股から何か出てくる感覚が酷かった。

当時すでにコロナが蔓延していたこともあって、日中外に出ない代わりに夜に車でドライブして気分転換することが多かったのだけど、その頃になると車に乗るのも不快だった。お腹はいちいちぼよんぼよん動くし、振動のたびに下から赤子が飛び出しそうになる。

 

早く産んで楽になりたい! その願いが通じたのか、晴れて予定日前の38週での出産が決まった。ハレルヤ!

出産日の前日に入院して必要な処置(子宮口が十分に広がっていない場合はバルーンを入れたりする。痛いらしい)をしてその日は普通に夕食をとり、翌朝は麻酔に備えて朝食は抜きで、促進剤投与、分娩となるらしい。

(私の産院では、胎児の発育や子宮口の開き具合を見て、直前に計画出産日を決める方針だった。多分もっと早めに出産日を決める産院もあると思う)

 

いつ陣痛(or破水)が始まるかわからない自然分娩と比べると、計画分娩は非常に気持ちが楽だ。

「今、このタイミングで急にバシャっと破水したらどうしよう」という恐怖と戦わなくて済む。

一説によれば、自然分娩の場合痛みを怖がると分娩に時間がかかる場合があるらしく、長女のときはまさにそれだったのではないかと思っている。

 

緊急事態宣言下とはいえ、流石に夫と長女(しかも当時保育園は休園中)を自宅に残して出ていくわけにはいかず、関西在住の義母に応援を頼み、入院の日を迎えたのであった。

 

あ、これ長くなりそうなので何回かに分けますね。

続く!

 

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緊急事態宣言中。粉物の棚がスッカスカになるなどの事案が相次いでいた。