拝啓、いつかの君へ
「ゆとりですがなにか」のSPドラマが放映中である(7/2, 7/9)。
「木更津キャッツアイ」以来のクドカンファンなので連続ドラマ時代から見ているのだが、今回のSP前編も面白かった。
面白かったけど、他のクドカンドラマに比べて「ゆとり」は圧倒的に見ていて苦しい。
クドカンドラマはどれもそれなりに見ていて苦しいんだけど、これは特別。
ハチャメチャなストーリー展開なんだけど、随所に小ネタがてんこ盛りされていて、要所要所でグッとくる、っていうクドカンらしさはそのままに、画面のトーンの全体的な暗さと(たぶんそういう撮影技法なんだと思う。詳しいことは知らん)、主人公たちの世代のモヤモヤ感も相まって、なんかすごい苦しい。
あと、他の作品より暴力性を強く感じる気がする。
柳楽優弥演じるまりぶと、安藤サクラ演じる茜ちゃんがとくにその暴力性を強めてる感じ。
中学生とか高校生の頃、学校の先生たちを見て、「この人たち、大人のくせにガキみたいだな」って感じることがたくさんあった。
キツい言い方だけど、事実なのでこのまま続けます。
なんか勝手にキレて、ずいぶん年下の生徒相手に感情的になって。
いい歳してガキか、と思っていた。
そんな当時の教師たちの年齢に自分も近づいて。
下手したら追い越して。
思いのほかガキのままでドン引きする。
私いまだにキレるし、感情を制御できなくて泣いたりする。
30そこそこで大人になれだなんて、酷だなと思う。
でも、「大人は汚い」ってスローガンみたいに叫んできたけど、思ってたより汚くないなとも思う。
むしろ泥くさい。
大人になったら汚れていくんだ、って尾崎みたいなこと思ってたけど、
むしろうまく汚れられなくて、純粋だの純情だのが残ってるから、しんどい時もあるし、涙が出る時もある。
あの頃思ってたより、大人って意外と、ダサくて、かわいくて、愛すべき存在だと思う。
それにしても、クドカンて私よりおっさんなのに、なんでこんなに青くさい本が書けるんだろう。
その青くささ、私忘れちゃってたわ、ってことがよくある。
なんか、知り合いのディレクターさんが、脚本書くために普通の人では思いつきもしないようなめちゃくちゃな試みしてたりするんだけど、そういう、自分の傷口を抉ってみたり、あえて傷を作ってみたりするようなことしてるのかね。
自称青くさい族の私でも、さすがに高校生や大学生の頃のエッジの効いた青くささは失ってしまったというのに。
クリエイターと呼ばれる人たちはやっぱり特殊やな。
前半は伏線を張り巡らせたところで終わった感じ。
後半も楽しみだー。