カタヤマさんの頭の中

久しぶりの実名ブログです

カジュアルに心療内科を受診する

 

心療内科に行ってきた。

 

実は、前々から行こうか迷っていたのだが、ついに今日、意を決して行ってきた。

産後うつではない。

 

時々ボヤいている通り、私は父親との関係に割と深刻に悩んでいる。

詳細は割愛するのだが、要するに長年過干渉に晒されてきて、ついにその重さに耐えかねるようになったということだ。

 

これまでも、自分の中で感情がうまくコントロールできなかったり、異常にコンプレックスが強かったり、自分のやりたいことが見つからなかったりということはあった。

特に、やりたいことが見つからないことについては、就職活動の時に自分の就きたい職業が全く思い浮かばず、希望職種も希望業種も決められなかった挙句、面接で「特にやりたいことも頑張ったこともないです」と真顔で答えてしまいなかなか内定がもらえないという現実的な問題に直面することにもなった。

とはいえ、感情がコントロールできなかったりコンプレックスが強かったりしたことについては歳をとるにつれて年々折り合いをつけられるようになってきたこともあり、なんだかつまらない人間にはなってしまったけれどもようやく私も人並みに温厚な人間になれたのだなと安堵していたりもした。

が、結婚して家庭を持ち、子どもが生まれて子育てをするようになって、「やっぱり我が家は何かおかしかった」と気づくことが多々あり、さらに出産前後に父親と一悶着あり、ついに産後、区の保健師に泣きながら相談するという事態に発展し、「何かあった時のお守りに」と、近所の心療内科の名医を紹介してもらっていたのだ。

 

育児が軌道に乗り、娘に父親の機嫌を取らせることによって、一時の超険悪な父娘喧嘩は収束を迎えたのだけど、つい先般、またその火を燻らせる事案が発生し、思い切ってクリニックの予約を取ったというわけだ。

 

実際には、予約を取ったのは7月上旬あたりで、その後何度か帰省し父親のご機嫌を取っているので、今現在私自身のメンタルがどうにかこうにかなっているわけではない。

元気。

だけど、この、「ちょっと変わった父親と今後どう付き合っていくか」問題は、私が父娘の縁を切り、実家で父親と同居している弟に人身御供になってもらいその後罪悪感を抱かずに安穏と生きていける極太メンタルを手に入れない限り、生涯つきまとう問題だと思ったのだ。

 

直視するのはしんどいことだけど、いつか向き合わなければならない。

そして、それぞれがそれほど傷つかない落とし所を探らなければならない。

 

そんなわけで、私自身が急を要する重大な問題を抱えている訳ではないのだけど、心療内科に行きカウンセリングを受けてきた。

 

 

詳細は割愛するけれど、結論から言って話を聞いてもらっただけでも随分楽になった。

本格的なカウンセリングはこれからだけれど、とりあえず私が悩んでいた方向性は概ね間違っていなく、これから一緒に解決策を探ってくれるらしい。

(私自身が精神疾患を抱えている訳ではないので、今後は精神科医ではなくて臨床心理士のもとでカウンセリングを受けることになるらしい)

勇気を出して門を叩いてよかった。

 

 

で、じゃあうちの父親がどれだけエキセントリックなのよ?と言われると、おそらく他人から見れば「ちょっと変わっているけど普通の人」である。

そうなのだ。毒親というのは、傍目に見ればそれほど変な人ではないのだ。

そして、毒親が苦しいというのは、私だけに特有の事象ではなくて、本当にありふれていて、もしかしたら本人がそれに気づいていないだけ、ということだってあるのではないかと思う。

 

統計的にどのくらい、とか詳しい話は知らないけれど、40人のクラスであれば、毒親に苦しんでいる子が普通に5人くらいはいるんじゃないか。下手したら、10人くらいいるかもしれない。

だって、飲み会でフラッとそんな話をしていて普通に「私も」という人がいるし、既婚者の愚痴を聞けばどちらかの親が毒っぽいということは結構頻繁にあるもの。

 

 

ということで、生きづらさの根底には親の影響があるかもよ?

 

子育てをしていてつくづく思うのです。

私は毒親になりたくない。

子どもを自由に生きさせてあげたい、と。

 

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8月19日の夕方の空。

この日、多摩川で花火の予定だったんだけど、荒天のため中止になったのでした。

凄まじい雨と雹と落雷が過ぎ去った後、青空がのぞいていた。

花火できるんじゃない?と思ったんだけど、結局この後また雨が降ったそうです。