生理が戻ってきた
何でもかんでも開けっぴろげに言えばいいってものではない。
わかっている。わかっていますとも。
しかし。
産後4ヶ月、生理が戻ってきた。
いや、あの、少し早すぎませんかね。
我が家は完母、ストリクトリー完母なのですよ。
(私が不在の時はミルクの場合もあるので、なんか宗教的なこだわりとか自然派とかそういうのではないです。単に哺乳瓶を消毒したりするのがめんどくさいだけ)
それが産後4ヶ月で生理が戻るって。生理のない快適な生活、短すぎた。。
(だってほら、産後1ヶ月は悪露でオロオロしてるしね。いい加減にしろ。)
というのも、実は次女を授かる一年ちょっと前、私は人知れず閉経の恐怖に怯えていました。
長女を出産後、紆余曲折を経て、かなり生理が軽くなっていました。
産前は生理痛はきついし、出血量は多いしで(今思えば子宮内膜症気味だったのかもしれない)、毎回下着を汚す恐怖と闘っていたわけですが、産後は生理痛もほとんどなく、出血量も減り、いわゆる「2日目」、またの名を「多い日」だけ乗り越えれば後はなんてことない状態になっていたのです。
が、しばらくして、今度は「生理が軽過ぎるのでは」と不安に思うようになったのですね。
次女を授かる前の半年くらいは、腹痛もほとんどなく、出血量も少なく、2日ほどで終わってしまうこともあったりしたのです。
当時36歳、一般論として「妊娠可能性が急激に下がってくる」と言われる頃です。
(参考:治療の成功率と年齢|不妊College)
同時期に第一子を出産した友人知人が徐々に二人目を授かり始める頃。できれば子供は二人くらい、と思っていた私にとっては、この生理の軽症化は少なからずソワソワする出来事でした。
気になりだすと居ても立ってもいられない性格なので、そこからは仕事の合間に「早発閉経」について調べてみたり、あまり精神的に健全でない生活を送りました。
もしかして、私は二人目を授からないまま閉経してしまうかもしれない。
でも、いろいろな事情で子どもを授かっていない人もいるわけで、とりあえず娘はいるわけだから、私は恵まれている方で、とモヤモヤしながら生きていました。
結果的に、それから程なくして、運良く二人目を授かることができたわけですが、今思い出してもあの時期はあまり良好な精神状態じゃなかったなと思っています。
さて。
そんな迷惑だったりありがたかったりするお生理様ですが、次女の妊娠期間が心の底からしんどかったことを鑑みて、「妊娠・出産はもういいかな」と思っています。
なんだか妊娠中の辛かったことってどんどん忘れていくのだけど、肉体的にも(仕事との兼ね合いで)精神的にもキツかったあの時期のことは、忘れてはいけないなと思っています。
例えば、「安定期に入ったのでだいぶ元気です」という言葉。妊婦の側からすると「つわりの時期よりはだいぶマシですが、体は重くなって以前のようにはいきません」という意味を内包しているわけですが、妊娠未経験者からすると、「元気になったのだから以前のように働けるな」と受け取ってしまいがちです。
どちらも悪くない、のだけど、この種の誤解は結構頻繁にあって、後々いろいろなところに響いてきます。(でもほんとに妊娠しててもめちゃくちゃ元気な人もいます。こればかりは個人差。)
結果的に私は自分で自分の首を絞め、白目を剥きながら働いてしまったな、と思っています。
そうやって無理をしてまで大きいお腹で働いたり、上の子たちの面倒を見るのはちょっと辛いな、遠慮したいな、と思うのです。
というわけで、絶賛授乳中につき今はピルを飲めないようなのですが、授乳期が終わったらお生理様とは今生の別れを果たしたいと思います。
ちなみにミレーナ(IUS、参考:
ミレーナ52mgとは|子宮内黄体ホルモン放出システム ミレーナ®52mg|バイエル薬品)だと授乳中でも装着できるようなのですが、私は出産した産婦人科で「ミレーナは不正出血結構ありますよ」と釘を刺されました。え、そうなの?
まあミレーナにするとしても、コロナ禍で生理用品を大量に買い込んでしまった(だってその時悪露期だったから)ので、それを使い切ってからでもいいかなと思っています。
ほんと、久しぶりにお生理様と再会を果たして、こんなに煩わしいものだったっけと愕然としたよね。生理痛なくてこれだからな。。(でもめちゃくちゃ眠かったりするので、PMSはしっかりあるのかもしれない)
「多い日だって気にしない」なんて言わないよ絶対!
パンツくらい買ったらどうだ
次女を出産して3ヶ月が経った。
臨月には「どこまで前にせり出すんだ」と我が体ながらドン引きしていたお腹も、「だらしなくたるんだ腹」レベルには小さくなってきた。
ちなみに第一子の時はお腹が凹むのももう少し早かった。産後3ヶ月ごろには「肉は随分と減ったがだらしなく皮が余った腹」と言えるほどには小さくなっていた。
3年半の間に私も確実に歳を取っている。……余計なお世話だ。
妊婦のお供といえばマタニティショーツ。せり出したお腹をすっぽり包み込む優しいパンツ(通称デカパン)である。
念のため参照画像を貼っておくので、未婚男性及び既婚だが子どもがいない男性は読み進めないことをお勧めする。
経産婦に対する幻想が木っ端微塵に打ち砕かれるからだ。
賢明な男性諸氏は無事離脱されただろうか。
そう、こういうタイプのパンツである。
(ちなみに、手元にある商品そのものを貼り付けるのは生々し過ぎるので自粛した)
これが手放せず、いまだに愛用している。
すっぽりお腹を覆う安心感を手放す決心がつかない。
腹囲の布は余っているというのに。
思えば、妊婦になるということはそれまでの「うら若き乙女である自分」との今生の別れである。うら若き乙女とはどの口がいうか。この口がいうのだ。
初産婦にとってはこれらの下着は衝撃である。
初めてマタニティ向けショップ(実店舗)で見かけた時のショックたるや。
なんだこの恥ずかしいパンツ! 新しい羞恥プレイなの?
ちなみにパンツ売り場の近くには当然ブラジャー売り場もある。
そこに並ぶのは何ともメルヘンな色合い・素材のマタニティーブラたち。あれは第一子の時に試しに何枚か買ってみたけど、結局ほとんど使用することがないまま捨ててしまったな。
つわりで吐き気がひどかったり、正中線や妊娠線ができたり、●●が黒ずむだけでも辛いのに、下着までこんなにクソダサイものをつけなければならないなんて、正気なの?
結局、下着に関しては「つべこべ言わずユニクロのブラトップを大きめサイズで買っておけば問題ないぞ」という先輩ママの教えに従ってそうしたものの、クソダサ下着問題は私に取って大いに悲しい出来事だった。
あれから3年、晴れて二度目の妊婦となった私は、早々にマタニティショーツ(ただしできるだけプレーンなもの)を購入し、堂々とデカパン生活を送った。
妊婦も二度目なら、過去の栄光ははるか忘却の彼方であり、デカパンを履くことにも、ブラジャーがユニクロのブラトップに置き換わることにも何の抵抗もない。ノーストレスこそ正義だからね。
ちなみに、トップスに関しては上の子の卒乳後も通常のブラジャーを挟むことなくブラトップのままである。文句あるか。
しかし、このデカパン生活にもいつか別れを告げなければならない。
産後3ヶ月、そろそろその時ではないか。
「まだ履ける」
「ストックが何枚もある」
「お腹もちょっと出てる」
そんな声に惑わされてはいけない。
でかいパンツを履くから、腹もでかいままなのだ、現実を見よう。
そんなわけで、久々に(通常サイズの)パンツを買わなければならない、そう思っている次第である。
すっかりアラフォーになってしまったし、どこで買えばいいんだろうな、パンツ。
7時間しかない
育児休暇中は保育園が原則時短保育になる。
朝9時から夕方4時までの7時間である。
いや、預かってもらえるだけでありがたいのだけど、赤子を抱えながらの7時間は思いのほか短い。
育休中ということもあって、私の生活リズムは程よく乱れている。
程よくというのは、夫が今月(8月)から復職し、長女の保育園もあるので、流石に日付が変わる前には寝て、8時前後には起きている。が、理想的な生活リズムとは程遠い。本来ならば朝6時過ぎに起きて、夜10時には母子共々寝たいところ。
言い訳をさせてもらうと、赤子は約3時間おきに授乳が必要だし、私が寝る前の最後の授乳が大体夜の12時になので、私の就寝時間はそのくらいになりがちなのだ。しかし、それに引っ張られる形で長女も起きている。そうすると、必然的に朝起きるのも遅くなり、登園ギリギリの8時起きになってしまうのだ。そして、朝起きるのが遅くなれば夜寝るのも遅くなり……という負のループに入っている。
ややもすると、母は気を失いそうなくらい眠いのに、長女が元気ということもある。長女よ、母は夜10時には壮絶な眠気に襲われているぞ……。
そんなこんなで、7時間問題である。
困るのは、朝も9時登園にしてください、ということなのである。
これが「8時からでOKですよー」と言われるとだいぶ気分が違う。早めに起きて保育園に連れて行こうという気になるじゃないか。ねっ?
そうなれば朝起きるモチベーションも上がるというもの。6時起きだってできちゃうかもしれない!(幸い、長女は最近友達と遊ぶのが楽しいらしく、「今日は保育園お休み」というと不服そうである。)
しかし、9時に登園すればいいとなると、「8時に起きれば間に合うしなぁ」となりがち。誰がって、母が。そして服とかメイクも適当になりがち。休職中だし、マスクだし。
そしてどうにかこうにか、眠いとグズる娘に支度をさせ、保育園に送り出し、その足で食料品の買い出しをして帰ると、あっという間に10時。
あー困る! 後2時間でお昼ご飯だし!
次女はまだ離乳食も始まっておらず、とりあえずおっぱいとおむつの心配だけしておけば大丈夫。寝返りも打たないのでベッドかバウンサーに置いておき、大人しく寝てくれている間は漫画や本を読んだり勉強したりブログを書いたり……してるんだけど、ちょこちょこ会社や区から書類提出を求められたり、次女の予防接種があったり、保活があったりしているとあれよあれよという間にお迎えの時間。
おまけに、資格維持のためにE-Leaningやテスト受けなきゃだったり、英会話スクールに通い始めたりしたものだから本当に時間がない!
晩ご飯に揚げ物やちょっと凝ったものを出そうとした日にゃあ、午後の自由時間なんてないも同然。「ああ、ちょっとだけお昼寝したいなぁ」と思いながら泣く泣くお迎えですわ。
保育園があってこれだから、2歳差で上の子は未就園(※幼稚園は3歳の4月から)とかのお母さんはどうやって生活してるんだろう。。めちゃくちゃきついと思うんだよなぁ。私も上の子の時は、一人しかいないのに、夕方スーパーで茫然と立ち尽くしたりとかしてたもんなぁ。その時はもう、頭と心が疲れすぎて、晩ご飯作らなきゃいけないのに、何を作ったりいいかわからなくなっちゃったんだよね。あー、辛かった。
子どもが複数いて、習いごとの送り迎えとかもあって、食事や掃除もちゃんとやろうと思ったら、これはもう専業主婦じゃないと無理かもな、と思った私でした。
でも本当に専業主婦適性がないのでね。頑張ってアウトソースしながら復職したいと思います。
追伸。
夏休み、都民はなるべく都外に出るなとのことだったので、近郊で遊びました。
まあ、多摩川の近くに住んでるので、神奈川くらいまでは許してほしいよね。
ってことで、三浦半島にマグロを食べに行きがてら、京急油壺マリンパークにも足を伸ばしました。
すごい古めかしい(直球)水族館で、アクアパークやらシーパラやら江ノ島水族館やら現代的な水族館ばかり行っていた私にはすごく新鮮でした。
なんか私たちが子供の頃の水族館、って感じするよね!(ひどい)
コロナ禍でもなんだかんだ楽しく過ごしたけど、そろそろ遠くへお出かけがしたいです。
海外とは言わないので、北海道とか九州とかさ。。はぁ。
終盤の追い上げラブコメ感に血圧が上がるーー『めぞん一刻』
『めぞん一刻』というと、高橋留美子作品の中ではマイナーな部類のもの、と個人的には思っていた。
「週刊少年サンデー」「週刊少年マガジン」、略して「サンマガ」で活字を覚えた私にとって、高橋留美子作品はとても身近な存在だった。
その中でも、一番印象に残っているのが、保育園の終わりから小学生時代に連載されていた『らんま1/2』、そして夏休みになると必ずと言っていいほどアニメの再放送で見ていた『うる星やつら』である。
『めぞん一刻』に関しては、
・ヒロインは未亡人らしい→暗そう
・だらしない青年が主人公らしい→「うる星やつら」の諸星あたると被る
ということで、幼少期の私の中では「特に読まなくても良い作品」の中に位置付けられていたように思う。
で、こちらの記事(ものすごいものに手を出してしまった - カタヤマさんの頭の中)でも書いた通り、育休中に何を読もうかと考えるにあたって、どうしても高橋留美子、あだち充両巨匠の作品は押さえておきたかったのだけど、いきなり本丸の「らんま1/2」、「H2」に手をつけるのは勿体ない気がして、手始めに手をつけたのがこの『めぞん一刻」だった。
(余談だが、本を保管するスペースがないので、基本的にはTSUTAYAのコミックレンタルを利用している。)
で、この漫画、序盤は本当にどうしようもない。本作のテーマは「古アパートに住む主人公の青年五代裕作とその五代が思いを寄せる管理人の音無響子の繰り広げるラブコメディ」のはずなのだが、アパートの住人である脇役たちの個性が強すぎて、何ともやかましい。二人の恋路は事あるごとに住人たちに邪魔されて一向に前に進まない。
多少の邪魔であればラブコメの箸休めになるところ、箸休めではなくフルコースのように、というか田舎のばあちゃんちの大皿メシのように次から次へと差し出されるので、本丸が行方不明になるのだ。
『めぞん一刻』に関しては1回のレンタル(7泊8日)で2巻ずつ借りることにしていたのだが、2、3巻読んだところで「あっ、これはラブコメというよりお気楽なギャグ漫画なのだな」と考えを改めたほどである。
主人公五代は浪人から大学生、そして就職浪人となり、時間の経過は感じさせるものの、二人の関係は大した発展を見せない。私が読んでいたのは全10巻の文庫版(オリジナルは全15巻であるらしい)なのだが、8巻くらいまで読んだところで、「一体この物語をどうやって着地させるつもりなのか」と不安になったほどだ。
ところが。最後の2巻が怒涛の展開だった。
まずは五代の恋敵の三鷹が勝負に出る。響子に想いを寄せつつも叔父から勧められた見合いを断りきれず、と煮え切らない態度であったところを、「響子さん、これで本当に最後にします」と一気に畳み掛けるのだ。
結局、三鷹は響子に振られてしまうのだが、この描かれ方がすごい。
それまで「爽やかだけどちょっとイケすかないやつ」としてそれほど共感できなかった三鷹だが、この数話で一気に肩入れしてしまった。そしてその後三鷹が下した決断もグッとくる。もうここはぜひ漫画で読んでほしい。絶対泣けるから。
そして極め付けは最終巻だ。
堰を切ったように五代と響子の関係が一気に進むのだ。
ここはもう、私の稚拙な表現ではなく、絶対漫画を読むべき。私は心の中で何度か叫んだ。
「うおーー! 留美子ーー!!」
「高橋留美子ここにありーー!!」
長年「サンデー」を支えてきた屋台骨、高橋留美子。甘酸っぱいラブコメを描くのが得意なことは知っているつもりだったけれど、『めぞん一刻』が連載されていたのは「ビッグコミックスピリッツ」、青年誌だからね。
しっかり青年層を意識した終盤だったわー!!
ああ、五代君、響子さん、そして三鷹さん。あなたたちは私の心の中で一生生き続けることでしょう!!
あまりにも衝撃的すぎて、消化不良を起こしてしまった最後の2巻。ちょっと時間をおいて必ず再読したい。
『うる星やつら』も『らんま1/2』も結末がどうだったかよく覚えていないので、こちらもこの育休中にしっかり読んでおきたいと思う。あ、『犬夜叉』もか。。課題図書たくさんあるな。。
それではまた、面白い漫画があれば紹介します!
アデュー!!
「アダルト・チルドレンという物語」
自分はアダルトチルドレンかもしれないと感じ始めたのは長女が生まれてすぐのことだ。
アダルトチルドレン(英:Adult Children)とは、
ーー出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
- 親がアルコール依存症の家庭で育って成人した人[1][2]。Adult Children of Alcoholics(ACOA、ACA)の略語。アメリカでアルコール依存症治療との関わりの中で生まれた言葉である[1]。
- 親や社会による虐待や家族の不仲、感情抑圧などの見られる機能不全家族で育ち、生きづらさを抱えた人。Adult Children of Dysfunctional family(ACOD)[3]。「機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなおトラウマ(外傷体験)を持つ」という考え方、現象、または人のこと。
初孫の誕生は親にとってもめでたいことのはずなのに、実家に帰る時期で揉めた。
長女は真冬の生まれだが、私の実家は冬になると冷え込んで空っ風の吹き荒れる北関東にあり、生まれたばかりの長女を連れて実家に帰る気持ちにはなれず、「もう少し暖かくなって、娘も大きくなってから帰る」と伝えていた。田舎の戸建ては底冷えがして、安易に里帰りして、娘が風邪をこじらせでもしたらたまらないと思った。
しかし、これが親の機嫌を大いに損ねたらしい。
いや、実際のところ直接的な原因が何だったかはわからないのだ。しかし、「帰れる時期がいつになるかわからない」と伝えた頃から親の機嫌が露骨に悪くなり、いよいよ「もうお前とは関わらない。帰ってこなくていい」と曰ったのだ。
これがつい1、2ヶ月前まで初孫の誕生を心待ちにしていた人間の言葉だろうか。
その後、何度か親の携帯に連絡を入れたが、電話には出ず、しまいには呼び出し音がなる前に切れた。着拒されたのだ。
産後のホルモンの乱れのせいもあったのだろうが、私は子供を抱えながらわんわん泣いた。里帰り出産をして親の世話のもと、穏やかに産褥期を過ごせる産婦もいるというのに、私には気軽に頼れる人が一人もいない。自分の子供時代がどうだったか克明に教えてくれる人もいない。子育ての不安を打ち明ける相手がいない。それまでのように気軽に外に出て誰かに会いにいくことさえできない。孤独だ。孤独だ。
このままでは自分自身の不安が娘に伝わってしまう、それだけは何としても避けたいと、私は区の保健師に電話した。他に頼る人は見つからなかった。
お願いです、助けてください。こんな精神状態では子どもを育てられません。話を聞くだけでもいいから、助けて……。
担当の保健師と電話がつながる頃にはずいぶん落ち着いて話ができるようになっていたが、保健師は私の話を聞いて、相談できそうな心療内科をいくつか紹介してくれた。近所のクリニックもあった。
私はそれをお守りのように手帳に書き込み、辛くなったらいつでも駆け込めるようにしていた。実際に受診したのはもう少し先になってからだけれど。
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そんな出来事があって、それまでも薄々感じてきた、「うちの親は何か変だ」の原因を探り始めた。
親の性格や自分自身の症状について、いくつか当てはまるものは見つけたが、医療機関で診断を受けたわけではない。
一つ言えるのは、親自身にも何らかの精神的な問題があり、結果として私自身が長らく生きづらさを抱えながら過ごしてきたということだ。
そんな中、一番自分にとってしっくりきた言葉が「アダルトチルドレン」だった。
うちの親はアルコール依存症ではないので、冒頭の定義のうち、前者には当てはまらない。
ただし、物心ついた頃には両親が激しい口論をする姿を頻繁に目にし、父が母を怒鳴っている時は別室で震えながら息を潜めて過ごすことがよくあった。
また、同居していた父方の祖父は、大病を患ってから心身症気味になり、突然「俺はもう死ぬ、今すぐ入院して手術させてくれ」と叫び出したりということもよくあった。筆頭になって介護しなければならない母の心労はいかばかりだったか。
思春期の初めには生きづらさをはっきり自覚していた私だったが、長らくその理由はわからなかった。
大人になってーーそれも三十路を超えて、自分の心の問題を端的に表す言葉に巡り合えて、少し安堵している。
そして、ありがたいことにアダルトチルドレンの研究は着実に進んできている。
『アダルト・チルドレンという物語』は、アダルトチルドレン研究の黎明期に書かれた本であるが、これを契機として『アダルトチルドレン』という言葉は広く認知され、研究が進み、当事者たちによる告白本も増えている。
本書(正確には単行本版である『「アダルト・チルドレン」完全理解』)は信田さよ子氏の最初の著書だそうだが、取り上げられている事例や著者の問題意識は初版発行から20年以上経った今でも色あせることない生々しさがある。
文庫本は読み捨てすることも多いのだが、手元に置いておき折に触れて読み返したい一冊である。
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その他にも、6月にはこんな本を読みました。
(この他にも何冊か読んでいますが、全然面白くなかったり買ったことを後悔したりしたので省略)
忘れてなければ来月も読んだ本紹介します。
パラレルワールドなんじゃないか
産後1ヶ月が過ぎ、床上げの時期になったので、ボチボチ次女を伴って外出している。
長女の時は「まずは近所の散歩から」などと慎ましくしていたけれど、上がいるとなかなか(私の気分的にも)そうはいかず、近場までドライブしたりして気分転換をしている。
何しろ4月の頭から3ヶ月近く引きこもっていたので、久しぶりのシャバの空気は最高である。
そして赤子を出した後は体が軽い。駆け出したい気分だぜ!
実際にはそこまで体力は戻っていないけれど。
そう、緊急事態宣言が出された4月の頭から、私はクリニックの健診を除いてはほぼ引きこもっていた。
私自身はフルリモートだったし、夫も8割型在宅勤務に切り替わっていて食材や日用品の買い出しはやってくれていたこともあり、私は3ヶ月間、ほぼ世間から隔離されて生きてきたのである。
テレビやネットのニュースでコロナの情報には触れているけれど、外に出ていないのでいまいちリアリティがない。
いや、感染予防とか、各地の感染者数が今どのくらいだ、という情報は頭に入れていたものの、大型施設が軒並み営業自粛したり、道ゆく人がみなマスク姿をしていたり、大型スーパーから個人商店まで街中のありとあらゆる店でレジ前に透明の間仕切りが設置されていたり、という「新しい生活様式」に変わっていることに、物凄く違和感を感じるのである。
多分、日々街の様子が変わっていくのを目にしていたら、そんなことは思わないのだろう。
3ヶ月近く世の中から隔離されていて、ようやく外に出たら街中マスク姿の人だらけで、以前はにこやかに挨拶していたマンションの住人たちとも、会釈だけしてそそくさとすれ違っていくようになっているのがとても変な感じなのだ。
「夜の店」ではない飲食店で談笑しながら食事をするだけなのに、ものすごく罪悪感がある。
ましてや生後間もない赤子を連れて外出していること自体、白い目で見られているような気がする。
緊急事態宣言以前と以後で、世の中は連続性を失ってしまったように見える。
現実に生きている世界なのに、パラレルワールドの中にいるみたいだ。
みんながそれを受け入れているおかげで、日本は感染爆発せずに踏みとどまっているのかもしれないけれど、世の中がずっとこのままなのはすごく窮屈だ。
リモートワークや時差通勤なんかは今後も一般的なワークスタイルとして浸透してほしいけど、人情味みたいなものは早く戻ってきてほしいなぁ。
しばらくは、密にならない曜日・時間帯を選んで、密にならない場所に、ささやかにお出かけしたいと思います。
とはいえ、育休は貴重な時間なので、時間と場所を選んでの外出は積極的にするよ。
【おまけ】
ドライブのお供は長女のリクエストでプリキュアの曲をかけることが多いです。
私は特にプリキュア熱は高まっていないのだけど、このCDだけはちょっと欲しい。
ものすごいものに手を出してしまった
前回の産育休で後悔していることがある。
それは、本や漫画をたくさん読んでおけばよかった、ということだ。
第一子育児というのは何もかもが初めての経験で、日々てんてこまいであったことに違いはないのだが、まもなく復職というタイミングで「なぜあの夢のような時間をもっと有効に使わなかったのだ」と後悔したものだ。
そんな前回の反省を生かし、産後1ヶ月を前にいよいよTSUTAYAの漫画レンタルに手を出すことにした。
何から読むべきか家族会議をしてからTSUTAYAへ。TSUTAYAの漫画レンタルは10冊借りると7泊8日で800円(税抜)、妥当なボリュームだ。これ以上借りると漫画廃人になってしまう。
まずは夫から課題図書として指定された『スラムダンク』、4巻以降が貸し出し中なので、とりあえず3巻まで。
押さえておくべき古典漫画は少し悩んで、気軽に読めそうな『めぞん一刻』、これをひとまず2巻。
あと5冊。売り場はそれほど広くないので、ここで見つからない漫画はネットレンタルかなーと思いながら店内をぐるりと回り、ふと気になった作品の棚の前で足を止める。
ああ、これ聞いたことあるわ。『キングダム』。
すっかり漫画には疎くなってしまった私だけど、Twitterでよく見かけるのでタイトルだけは知っていた。
巻数も多いけれど、1巻あたりの札数も多い。よっぽど人気なのだな。
で、これを5冊。久しぶりに漫画を読むので、ホクホクしながら帰る。
で。
ついに一昨日から読み始めた『キングダム』。
1巻が鬼のように重い。一話一話がズシンとくる。
さらっと読めるのが漫画の良いところ、だと思うのだが、内容の重さと絵の迫力とで一冊読むと酷く疲弊する。きちんとした小説を読むくらいの満足感と疲労感がある。
思わず育休中の夫に、「これはヤバイぞ! ヤバいものに手を出してしまったぞ! とりあえず読め!」と訴えた。気づかず3回くらい同じことを言っていたらしい。
グロテスクな描写も多いし、寝る前に読むと悪夢にうなされそうで怖かったりもするのだが、とにかくあっという間にハマってしまった私である。
それにしても、すでに58巻まで出版されているらしく。そして佐藤優が書いている関連書籍も出ているらしく。。
これは沼が深いぞ。育休終わりまでに消化し終わるかな。。頑張ります。