カタヤマさんの頭の中

久しぶりの実名ブログです

HeForSheセミナーに参加してきた

 

3月8日は国際女性デーなのだそうだ。

 

会社から案内が届いていて、託児付きで無料で参加できるというので、復職準備にもなってよかろうということで参加してきた。

 

冒頭、何かと話題の安倍昭恵さんのオープニングスピーチがあったり(これがびっくりするほどふんわりしていて中身がなかった)、その後のセッションで安倍昭恵さんがいるにもかかわらず「何でもかんでも忖度ってよくないよね」(詳しい文脈と正確な言い回しは忘れた)的な発言があったりと、本筋以外のところで個人的に盛り上がったりしたものの、全体的に非常に興味深い話が多く、参加してよかったセミナーだった。

 

イベントの詳細はこちらをご確認ください。

 

japan.unwomen.org

 

今回のテーマである「マインドセットは自分で決める」という話について、育休からの復職を控えている私にとっては非常にホットなトピックであると感じた。

 

時間的な制約なく働けていたこれまでと違って、復職後は「保育園のお迎えの時間」というタイムリミットに強めに縛られることとなる(延長保育には別途料金がかかるし、娘が通う予定の保育園はその延長料金かわりかし高い)。

それなら、帰宅後子供を寝かしつけた後に家で仕事をする時間を取ればよかろう、そう思っていた時期が私にもありました。

ところが、子供はそう都合よく親が望む時間には寝てくれないし、寝たら寝たでその隙にやらなければならない家事もある(特に子供の食事に関するものは時として仕事よりよっぽど重要な場合もある)。

そんなことをしていると、いざ仕事をしようと思った時には深夜になっていたり、クタクタに疲れていて気絶寸前ということも往々にして起こり得る気がしている。

この辺りは、ゆくゆくファミサポやらシッターやら外部のリソースにも頼りつつ落とし所を探っていくしかないと思うのだが、じゃあどこまで親として子供と関わる時間を確保し、子育てという掛け替えのない時間を過ごしていくのかってことも考えなければならない。

外部リソースに頼れるだけ頼るというのも一つのやり方ではあると思うが、少なくともそれは私が理想とする子供との関わり方、生き方ではない。

 

そんなわけで、会社員としてどうするか、社会人としてどうするか、母としてどうするか…といった具合に変数が増えていって、「なんとなく流れに乗って働く」という今までの働き方だとちょっと厳しいなと感じるようになったのだ。

 

セミナーではいろいろ面白い話が聞けて、とても書ききれないのだけど、特に印象に残った話を自分用

のメモとして書いておく。

 

〈男性型の長時間労働を前提とした保育所は本当に必要か〉

文京区の成澤口調の問題提起。

 

自治体によって保育所の認可の基準は異なるかもしれないのだが、区立だと7:15に開園して延長込みで19:15閉園というのが一般的のようだ(私立だと20:15まで空いているところもある)。

ということは12時間営業しているわけで、前後の準備や片付けなども含めると13時間以上は誰かしら園にいなければならないのだ。もちろんシフト制でやりくりしているとは思うけれど、保育園の先生方にもプライベートがあり、家族だっているかもしれない。預けている側は時短で働いてたりするけれど、よくよく考えたら保育士さんの負担がどれほど大きいかがわかるよなと思う。

 

また、子供にとって朝から晩まで大半の時間を保育園で過ごして、家には寝に帰るだけ、という生活が果たしていいのかという問題もある。

3歳まではできるだけ親元で過ごしましょうみたいな話を持ち出したいわけではないし、幼い子供だって親と離れて自分の社会を築いていくことは大いに良いことだと思う。教育方針など、子供が苦しくない範囲でそれぞれの家庭が自由に決めたらよかろうと思うのだが、そもそもこんなに可愛らしくて未熟で変化に富んだ時期を観察しなくて寂しくはないのかという話ですよ。私は寂しい。

 

あと、子育て世代にかかわらず、そんなに朝から晩まで働かなきゃいけませんか、とも思う。

なんだか頭脳労働系の仕事ほど、起きてる時間は一瞬足りとも無駄にせず仕事に打ち込むことが美徳、みたいな風潮があるけれど、本当にそうなのか。

Googleは勤務時間のうち一定時間を好きなことに使ってよく、そうすることでイノベーションを次々生み出しているというじゃないか。

同じ組織の中で、同じような価値観で同じような仕事をするならそれはもうAIにでも変わってしまえば良い。

人間が仕事をする意味というのは、思いも寄らない組み合わせをひらめいたり、新しいアイディアをひらめいてワクワクしたり、他者とのコラボレーションで新たな視座を得たりすることにあるんじゃないか。

 

だとしたら、各々が大切にしているもの、楽しいと思えることに使える時間を確保することによって、長い目で見たらめちゃくちゃ組織の役に立ったってことがあり得るんじゃないか。

 

 

〈もっと感情を表に出して仕事をしていい〉

 

ユニリーバの取締役・島田氏の話。

 

これは、感情的になる、ということではなく、もちろん言葉を選んだり表現に気をつけたりする必要はあるけれども、と。

 

実はすごくグサッときたことで、新卒で求人広告の営業をしていた時は私は感情をむき出しにして仕事をしていたのだが、ブランクを経て転職した今の会社では「感情に左右されないのが大人」という思い込みの元、感情を押し込めてなんならアルカイック的なスマイルさえ浮かべて、感情を持ち込まず淡々と仕事をしていたのだ(もちろん、家では口汚く愚痴を言って吐き出したりする)。

 

新卒の頃、悔しい、辛い、辞めたい、ムカつく、でもたまに嬉しい、楽しいと思って働いていた頃は、時々ものすごい達成感を感じることがあったし、ワーカーズハイみたいになることもあった。

今は(仕事の特性もあるけれど)すごく悔しい、ムカつくと言ったことがない代わりに、めちゃくちゃ楽しいなと思う瞬間もない。生活の安定のために働くという意味では効率的かもしれないけれど、私はこれからの人生の大半を面白くも悔しくもないことに費やして、職業人として満足なのかという問いは常にある。

 

セミナーで出た話なのか何かの本で読んだ話か忘れてしまったのだけど、感情を殺してしまうと本来自分が好きなものに出会っても、心がときめかなくなるんだそうな。そんな風になってしまったら悲しくて仕方ない。

 

バキバキのハードワーカーとして、持てる時間の全てをつぎ込んで出世街道をひた走る、という選択肢が実質的に閉ざされた以上、独自性を追求していくより他私の生きる道はないと思っている。ではどこに独自性を発揮するのか。

 

あいにく、感情を殺して働くことに慣れきってしまっていた私はいまのところその答えを持ち合わせていない。

 

高橋俊介は自ずと流れ着いていく先に自分らしいキャリアは拓けてくる、みたいなことを言っていたけれど、それは無感情・無感動に流されているのではダメで、笑ったり怒ったり泣いたりしながら試行錯誤していかなきゃならないものなんではないか。

 

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以上、この他にもたくさん学びはあったのだけど、どれも自分の中で答えが見つかっているものではない。

 

ただ、これを契機として、試行錯誤しながら楽しく働く道を模索していけたらいいなと思う。

 

私には、娘のかーちゃんとして「お母さんなんかわからないけど楽しそうに働いてるな」と思ってもらう使命があると思うのだ。

 

頑張るぞ!

 

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写真はクロージングスピーチの様子。

ユニリーバのグローバルCEOだそうだ(手元の資料の写真と雰囲気が違うんだが、本当かな)。